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唐手の創始者、糸洲安恒の糸洲十訓の原文と意訳、その意図について

 2017/06/15 空手のトリビア  

空手はもともと、沖縄の中学校の体育課程としてはじめられた「唐手」がもとになっています。

⇒ 空手の歴史についてはこちら

唐手の創始者は、沖縄県庁に勤めていた糸洲安恒(イトスアンコウ)という人物です。

その糸洲が唐手の理念を書き表したものが「糸洲十訓」と呼ばれる文書です。

ここでは、糸洲十訓の原文とその意訳を掲載し、時代背景と糸洲の思想的背景についてお伝えします。

糸洲十訓の原文と意訳

糸洲十訓の前文

原文
唐手は儒仏道より出侯ものに非ず住古昭林流昭霊流と云う二派支那より伝来したるものにして両派各々長ずる所ありて其侭保存して潤色を加え可らざるを要とす仍而心得の條々左に記す

意訳
空手道は、古代中国思想(孔子の教え)である儒教や、古代インド発祥(釈迦開祖)の仏教から出たものではありません。その昔、中国より昭林流と昭霊流という二つの流派が、琉球(沖縄)に伝えられたものだと聞いております。この二つの流派はそれぞれ特長がありますので、このままの状態を大切に守りながら伝えていかなければなりません。そのためには、自分だけの思惑で、型に手を加えないという心掛けが肝心です。それで空手道の修練の心得とその効用を、項目ごとに行を改めて書き記してみます。

糸洲十訓の一

原文
唐手は体育を養成する而己ならず何れの時君親の為めには身命をも不惜義勇公に奉ずるの旨意にして決して一人の敵と戦う旨意に非ず就ては万一盗賊又は乱法人に逢ふ時は成たけ打ちはずすべし盟て拳足を以て人を傷ふ可らざるを要旨とすべき事

意訳
空手道は、個人としての体育の目的を果たすだけが、すべてではありません。将来主君(国)と親に一大事が起きた場合は、自分の命をも惜しむことなく、正義と勇気とを持って、進んで国家社会のため、力を尽くさなくてはならぬ、という名分を持っております。ですから、決して一人の敵と戦う意図はさらさらありません。かような次第ですから、万一暴漢や盗人から仕掛けられても、平素の修練の成果により、なるべくこれをうまく捌いて退散させるよう仕向けることです。決して突いたり蹴ったりして人を傷つけることがあってはなりません。このことが、本当の空手道精神であることを、強く肝に銘じて欲しいものです。

糸洲十訓の二

原文
唐手は専一に筋骨を強くし体を鉄石の如く凝堅め又手足を鎗鋒に代用する目的とするものなれば自然と勇武の気象を発揮せしむ就ては小学校時代より練習致させ候はば他日兵士に充るの時他の諸芸に応用するの便利を得て前途軍人社会の一助にも可相成と存候最もウエルリントン侯がナポレオン一世に克く捷せし時曰く今日の戦勝は我国各学校の遊戯場に於て勝てると云々実に格言とも云ふ可き乎

意訳
空手は、専ら鍛えに鍛えて筋骨を強くし、相手からの打撃をも跳ね返すほどの強さにすることが理想です。このように理想的に鍛え上げれば、自然と何事をも恐れず、自分の信念もまげずに振る舞う、逞しい行動力と強い精神力が備わるものです。それにつきましては、小学校時代から空手の練習をさせれば、いつか軍人になった時、きっと他の剣道とか銃剣道のような術伎上達の助けになる効用があります。以上述べましたようなことが、将来、軍人社会での精神面と術技面への何かしらの助けになると考えます。最も、英国のウエリントン候が、ベルギーのワーテルローでナポレオン一世に大勝した時にいいました。「今日の戦勝は、我が国の各学校のグラウンド及びその他の施設で広く体育の教育をやった成果である」と。実に格言というべきでしょうか。

糸洲十訓の三

原文
唐手は急速には熟練致し難く所謂牛の歩の寄りうすくとも終に千里の外に達すと云ふ格言の如く毎日一二時間位精入り練習致し候はば三四年の間には通常の人と骨格異り唐手の蘊奥を極める者多数出来可致と存候事

意訳
空手は、急速に熟練しようとしても、なかなか難しいものです。「牛の歩みは、馬と比較して、より遅いけれども、歩き続けていれば、ついに千里以上の里程を走破することが出来る」との格言があります。そのような心掛けで、毎日一、二時間ほど精神を集中して続けますと、三、四年の間には通常の人と骨格が違うばかりか、空手のかなり奥深いところまで到達出来る者も数多く出るのではないかと思います。

糸洲十訓の四

原文

唐手は拳足を要目とするものなれば常に巻藁にて充分練習し肩を下げ肺を開き強くカを取り又足も強く踏み付け丹田に気を沈めて練習すべき最も度数も片手に一二百回程も衝くべき事

意訳空手は、拳足を鍛えることが主体ですから、常に巻藁などで、十分練習を重ねるように努めねばなりません。その要領は、両肩を下げ、胸を大きく張り、拳に力を込め、さらに踏まえた足にもしっかり力を取り、吸った息を臍下丹田(下腹のことで古代中国思想で気が集る所)のところに沈めるような気持ちで練習するとよいでしょう。また、突いたり、蹴ったりする回数は、ともに片方で百回から二百回というところが効果的と考えます。

糸洲十訓の五

原文

唐手の立様は腰を真直に立て肩を下げカを取り足に力を人れ踏立て丹田に気を沈め上下引合する様に凝り堅めるを要とすべき事

意訳
空手の立ち方は、腰を真っ直ぐに立て、重心の平衡が崩れないよう両肩を下げ、力が体重全体に平均に及ぶような心持ちで、しかも両足も力強く立ち、吸った空気を臍下丹田に集中させ、上下の腹筋も丹田に引き合わされるようにして凝り固めることが大事な要点です。

糸洲十訓の六

原文

唐手表芸は数多く練習し一々手数の旨意を聞き届け是は如何なる場合に用ふべきかをを確定して練習すべし且入受はずし取手の法有之是又口伝多し

意訳
空手表芸である形は、数多く練習した方がよいのです。が、漠然と練習してもそれほどの効果はありません。練習の効率をよくし、本物の技を身につけるには、形のなかにある一つ一つの技(手数)の意味を正しく聞き届けるだけでなく、その技はどんな場合に用いるか、ということを確かめて練習しなくてはなりません。さらに、形の中に出てこない特別な突き方(入れ)、受け方(受け)、腕や襟を取られた時の外し方(はずし)、関節の決(極)め方(取り手)などの高度な技があるけれども、それは秘伝になっておりますので、多くは師が弟子に対して口で伝えるようになっております。

糸洲十訓の七

原文

唐手表芸は是れは体を養ふに適当するか又用を養ふに適当するかを予て確定して練習すべき事

意訳
空手表芸である形は、その技の一つ一つについて、この技の目的は「体」即ち体育(基本鍛錬)のために有効なものか、「用」即ち実用(応用技)として練習するのに適切であるか、あらかじめ確実に理解し、目的と方法を確定して練習しなくてはなりません。

糸洲十訓の八

原文

唐手練習の時は戦場に出る気勢にて目をいからし肩を下げ体を堅め又受けたり突きたりする時も現実に敵手を受け又敵に突当る気勢の見へる様に常々練習すれば自然と戦場に其妙相現はるものになり克々注意すべき事

意訳
空手の練習をする時は、ちょうど戦場に出かけるような意気込みがなくてはなりません。目はかっと見開き、肩を下げて、体に弾力性がつくように固め、また、受けたり、突いたりする技の練習でも、現実に敵の突きを受け、蹴りを払い、体当たりしている実戦さながらの強い意気込みでやらなくてはならないのです。このような練習をすれば、自然と他ではまねのできないすぐれた成果が、形となって現れるものです。以上のことをしっかりと心掛けて欲しいものです。

糸洲十訓の九

原文

唐手の練習は体力不相応に余りカを取過しければ上部に気あがりて面をあかめ又眼を赤み身体の害に成るものなれば克々注意すべき事

意訳
空手の練習は、自分の体力不相応に、力を入れて気張り過ぎると、上気して顔も火照り、目も充血して体の害になるものです。以上のことは、どんな視点からみても、健康のため有害ですので、しっかりと肝に銘じたいものです。

糸洲十訓の十

原文

唐手熟練の人は往古より多寿なるもの多し其原因を尋ねるに筋骨を発達せしめ消化機を助け血液循環を好くし多寿なる者多し就いては自分以後唐手は体育の土台として小学校時代より学課に編入り広く練習致させ候はば追々致熟練一人にて十人勝の輩を沢山可致出来と存侯事


意訳

空手に熟達した人は、昔から長寿の者が多いのです。その原因をよく調べてみますと、空手の練習が筋骨の発達を促し、消化器を丈夫にして、血液の循環をよくするので長寿者が多いということです。それで、空手は自分以後は、体育の土台として小学校時代から、学課に編入して広く多くの者に練習させていただきたいと思います。そうすれば、おいおい熟達する者が出て、きっと一人で一度に十人の相手にも勝てるような猛者も沢山出てくることと思います。

糸洲十訓の後文

原文

右十ケ條の旨意を以て師範中学校に於て練習致させ前途師範を卒業各地方学校へ教鞭を採るの際には細敷御示論各地方小学校に於て精密教授致させ候へば十年以内には全国一般へ流布致し本県人民の為而己ならず軍人社会の一助にも相成可申哉と筆記して備高覧候也
明治四十一年戌申十月 糸洲安恒

意訳
右の十ケ条の意図で、師範学校や中学校で空手の練習を行い、将来師範学校を卒業して各地の小学校で教鞭をとることになったら、その赴任に先だって、十ケ条に述べました空手教育の意図とその効用を、細かく指示し、各地方の小学校でも不正確な点が少しもないように指導させれば、十年以内には、全国的に普及するはずです。このことはわれわれ沖縄県民だけのためでなく、軍人社会においてもきっと何らかの助けになると考え、お目にかけるために筆記致しました。
明治四十一年戊申十月 糸洲安恒

糸洲十訓の時代背景について

糸洲十訓が書かれた明治41年(1908年)頃の日本は、日清戦争、日露戦争に勝利し、富国強兵と軍備を拡張していた時代です。

軍人の力が増し、軍人の精神が尊いものとされていたでしょう。

さらに明治23年(1890年)には教育に関する勅語が発せられました。

十訓の一に、「空手道は、個人としての体育の目的を果たすだけが、すべてではありません。将来主君(国)と親に一大事が起きた場合は、自分の命をも惜しむことなく、正義と勇気とを持って、進んで国家社会のため、力を尽くさなくてはならぬ、という名分を持っております。」

というところに、時代背景があらわれていますね。

糸洲安恒の思想的背景について

琉球王朝時代に中国と同じような官吏登用試験である科挙が行われていたようなことを考えると、当時の学問の中心は四書・五経だったと考えられます。

四書とは、大学・中庸・論語・孟子のことで、孔子を祖とする中国の伝統的な政治、道徳の教えです。

糸洲安恒は、首里の王府に仕えていたので、四書の勉強はしていたと思われます。

当時の琉球王国でも、一般民衆も儒教の教えを大切にしていたはずです。

儒教では、人間の尊ぶべき徳性を仁、義、礼、智、信の「五常」としています。

  • 「仁」・・・人への思いやり。愛。儒教の根本をなす。
  • 「義」・・・損得にとらわれない、人のすべきこと。情に流されやすい仁を抑える。
  • 「礼」・・・仁を行動で表す、具体的な慣習、礼儀作法。
  • 「智」・・・学問に励むこと。是非善悪を判断する能力。
  • 「信」・・・約束を守ること。誠実であること。

儒教は、紀元前5世紀に中国の思想家「孔子」によって完成した思想で、中国全土に広まり、日本を含む周辺諸国にも広がっていきました。

このような思想が十訓の一にあらわれています。

万一暴漢や盗人から仕掛けられても、平素の修練の成果により、なるべくこれをうまく捌いて退散させるよう仕向けることです。決して突いたり蹴ったりして人を傷つけることがあってはなりません。このことが、本当の空手道精神であることを、強く肝に銘じて欲しいものです。

このような思想的背景、時代背景を頭に入れて読むと、糸洲十訓の理解はより深まるのではないでしょうか。

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